槍 戦い方。 薙刀と槍では相当違うのでしょうか

【賤ヶ岳の七本槍】豊臣秀吉の下で活躍した武将!そして関ケ原の戦いでの分かれ目!

槍 戦い方

長刀というのは、「長い柄の先に、日本刀がついたもの」と考えて下さい。 使いようによっては有効な武器であり、後世に「女性が使う武器」となったのは、 「遠心力を利用できるので、男性より非力な女性でも、複数名が狭い所の防御をするのであれば役に立つ」 という性質を有します。 ですが、槍より武器として使い難い点として、 1 他の方も指摘されるように、使う鉄の量を考えると、長い柄の先に穂先がついた槍の方が圧倒的に少ない。 2 長刀が「斬る武器(薙ぐ武器)」であるのに対し、槍は「突く武器」「集団で、叩く武器(この場合、先端の穂先はナマクラでも構いません)」であり、槍の方が遥かに扱いやすい。 3 日本の鎧は、戦国時代の半ばに火縄銃が導入されるまで、革の小片(小札=こざね)に漆を塗って表面を硬くしたものを綴り合わせた構造だった。 この構造の鎧は、日本刀や長刀のような「斬る武器」には相対的に強く、槍や弓矢のような「突く武器」には相対的に弱い。 よって、敵が立派な(強度の高い)鎧をつけていると、斬る武器である長刀は有効性が落ちる。 4 後世に、女性が使った長刀は、夜戦の戦場で使うものとは違い、ずっと軽いもの。 平安時代や源平合戦の時代に、戦場で使われた長刀は、ずっと重くて「殴られた」だけで相手にダメージを与え、敵の鎧を切り裂けるような強力な武器であった。 その代わり、このような「実戦で有効な長刀」を使いこなすには、武士の平均を超えた腕力が必要だった。 5 戦国時代に、長刀のような「強力な斬る(薙ぐ)武器」として「大太刀(野太刀)」「長巻」が実用されたことが記録されています。 大太刀(野太刀)とは、刀身が2メートルくらいある、刀のバケモノです。 下記のようなものが、現存しております。 現物を調べると、実戦で使用した形跡が認められるとのことです。 このような、人間に振り回せるとは思えない武器を駆使したと伝えられる武士が、朝倉家家臣の 真柄十郎左衛門直隆 です。 大相撲の横綱が、剣術の奥義を極めたような人物でしょうか。 オリンピックに出れば金メダル確実、というような身体能力を有する人だったと思われます。 「長巻」というのは、大太刀よりは超人的な身体能力を要しない、「斬る武器」です。 下記で解説されております。 ただし、やはり並の武士では「長巻」は使いこなせなかったようで、武田家の水軍大将で、駿河国持舟(用舟)城主だった、向井正重が、長巻の名手であったと伝えられます。 水軍の戦いでは、敵に致命傷を与えなくても、敵の兵や水夫を傷つけて動けなくするだけで良いので、長巻で薙ぎ払う戦法が有効だったのでしょう。 問題はむしろ、「なぜ薙刀が普及したのか?」にあると思いますよ。 だって、槍は長さを調整しやすく、生産コストが安く、突いても叩いても使えるし、使いこなすのに訓練が少なくて済みます。 どこをどう考えても「槍を使った方がメリットが多い」のです。 その証拠に、槍は世界中の歩兵で使われていますが、薙刀的な「長い棒の先に片刃の刃物」をつけた武器はほとんどありません。 ヨーロッパのハルバートくらいですかね。 なにより、平安以前の時代には日本でも槍が主力だったわけです。 つまり、なぜか槍が廃れて薙刀が主力になった時代があったということなんですね。 で、なぜかなーと考えたのですが、特に資料的根拠に基づいたものではないのでその程度で聞き流していただいて充分なのですが、たぶん、「平安時代に平和な時代が長く続いたから」だったのではないかなと思います。 平安末期、今の大河ドラマくらいの時代になってくると武士が台頭してくるわけですが、当時の武士というのは特殊技能集団だったわけです。 武士以外に戦争ということができる人たちはいなかった。 武器を使いこなすというのは当時の日本では特殊技能なのです。 平和な時代が長かったでしたからね。 特殊技能だから、むしろ「素人じゃ使いこなせないもの」のほうが自分たちの価値が上がるわけですよね。 槍なんか使われて、農民風情が武士と互角に戦われては困るわけです。 我々だってもし槍を渡されたら何日か練習すればなんとか使えるようになる気がしますが、薙刀を渡されてもちょっとやそっと練習してもどうにもならない気がしますよね。 弓(当時の武士の主力武器)を使えるようになるにはかなり訓練が必要ですし、太刀もまた然り。 それに薙刀が加われば、どの武器も「使いこなすにはかなりの訓練が必要」ということになり、そうなれば戦争をしようと思ったらそういった訓練を受けている武士に頼らざるを得なくなります。 だから、あえて使いこなすのが難しい薙刀が主力になったのだというのはどうでしょうか。 ではなぜその薙刀が廃れたのかというと、それもまた実に合理的で、戦乱の時代になると戦う人たちの数が増え、「既存の武士だけでは数が足りなくなってきた」からだと思います。 正社員だけじゃ足りないから、派遣やフリーターも必要になりました。 これといった技術を持たない連中を戦力にしなければならなかったので、熟練度が低くても使いこなせて使いやすい槍がまた復活したのではないでしょうかね。 そして槍から始めて技術を高めた人たちが増えてくると、敷居が高い薙刀より敷居が低い槍の技術を学ぼうという人が自然と主力になっていたのでしょう。 車を運転して楽しいのはMT車だけど、楽なのはAT車で、どっちが主力になっていったかを考えれば分かるでしょ?AT車から運転し始めた若者が「MT車を極めよう」ということにはなかなかなりません。 薙刀だと重心位置が、手元よりもかなり離れた位置に来ますから、敵と対峙した際の疲労度が段違いかと思います。 武器の重量としては遥かに軽い刀を使用する剣術でさえも、対峙時の疲労度が少なくなる様な刀の持ち方をした構え(八相の構え等)が存在しているくらいですし。 まあ、薙刀の利点は重心位置が遠くに有る為、遠心力を用いて強力な斬撃出来るという利点(だから女性用の武器として後年多用された)が有りますが、そもそも戦国時代の武将クラスであれば遠心力に頼らずとも敵を倒せるだけの腕力があるでしょうし、斬撃をかわされた際の隙の方がデメリットとして大きすぎです。 遠心力の弊害を抑えた槍であれば、隙の少ない連突や棒術の様な変幻自在の薙ぎ払い跳ね巻き上げ等を連続で繰り出す事が出来ます。 近接格闘や関節技の補助としての技も槍術には含まれますし…。 A ベストアンサー ゲオルギウス、ベレロポーン、アテナの槍の名前、わからないです。 神々の武器に名前を授けている、北欧やケルトの感覚の方が特殊なのかな…。 あと、思い出したので追加します。 ポセイドン(ギリシア神話)……三叉戟(トライデント)を持った姿で描かれます。 神話では三叉戟で大地を突いて、泉を湧き出させたりしています。 シヴァ(ヒンドゥー教)……トリシューラという三叉戟を持っています。 ドゥルガー(ヒンドゥー教の女神)……神々から様々な武器を受け取り、マヒシャという魔族と戦いますが、最後、シヴァ神から授かった三叉戟でとどめを刺します。 その場面は人気があってよく絵画などで描かれます。 毘沙門天(仏教)……別名を多聞天。 四天王を代表する武神。 鉾(三叉戟)を持った姿で描かれます。 原形はヒンドゥー教のクベーラ神。 その他、仏教系は散脂大将、大威徳明王、伊舎那天(いわゆるシヴァ神)など多くの神仏が鉾を持った姿で描かれます。 大国主命(日本神話)……別名を八千矛神。 槍使いかどうかは謎だけど、多くの武器を所持していたらしいことがうかがえます。 播磨国(現在の兵庫県)では新羅国王子の天日槍(あめのひぼこ)と軍事衝突しています。 呂布(中国)……『三国志演義』では方天画戟という種類の槍を愛用します。 宝蔵院胤栄(日本)……宝蔵院槍術の創始者。 マンガ『バカボンド』にも登場する人です。 巴御前(日本)って、薙刀の名人だったんじゃないかなー。 ふと思ったけど日本の薙刀って盲点かも。 武家の子女のたしなみ。 英雄じゃないけど…。 イザナギ・イザナミ(日本神話)……国生みのとき、天の沼矛でかき回して最初の島を造りました。 ロンギヌス……イエスを槍で刺して死を確認したローマ兵。 そのときの槍は聖槍ロンギヌスとして知られる。 ゲオルギウス、ベレロポーン、アテナの槍の名前、わからないです。 神々の武器に名前を授けている、北欧やケルトの感覚の方が特殊なのかな…。 あと、思い出したので追加します。 ポセイドン(ギリシア神話)……三叉戟(トライデント)を持った姿で描かれます。 神話では三叉戟で大地を突いて、泉を湧き出させたりしています。 シヴァ(ヒンドゥー教)……トリシューラという三叉戟を持っています。 ドゥルガー(ヒンドゥー教の女神)……神々から様々な武器を受け取り、マヒシャという魔族と戦いますが、最後... A ベストアンサー まず後半の質問からお答えします。 槍の人気のなさですが、おそらく剣術に対してマイナーだったからです。 戦国時代が終わり江戸幕府が開かれると、「槍は強力で危険だ」という考えがあったことから、槍の江戸市中への持込が禁止になります。 そんな経緯から、道場も少なくなり、マイナー化したのだと思います。 そして槍と刀の勝負についてですが。 同レベルの人間が勝負した場合、槍のほうが強いでしょう。 もちろん最大の理由はリーチの長さです。 ただし、刀に勝機があるとすれば次のような場合が考えられます。 1 槍の千段巻(先端部分)を叩き切る 2 懐にもぐりこみ、小太刀や鎧通しを用いる 3 刀や小太刀を投擲する 4 背後の壁などに槍を刺させて、使用不能にする 突き詰めれば、もっとでてくるでしょう。 ちなみに、みんさんが考えているほど槍の攻撃パターンは少なくはありません。 突く、払う、以外にも石突を用いる、柄で押す、頭上や正面で回転させる…。 棒術をやられた方なら、想像に難くないと思います。 実際、柄の部分で叩かれるだけでも骨くらいは折れますよ。 まず後半の質問からお答えします。 槍の人気のなさですが、おそらく剣術に対してマイナーだったからです。 戦国時代が終わり江戸幕府が開かれると、「槍は強力で危険だ」という考えがあったことから、槍の江戸市中への持込が禁止になります。 そんな経緯から、道場も少なくなり、マイナー化したのだと思います。 そして槍と刀の勝負についてですが。 同レベルの人間が勝負した場合、槍のほうが強いでしょう。 もちろん最大の理由はリーチの長さです。 ただし、刀に勝機があるとすれば次のような場合が考えられま... A ベストアンサー 当方弓道をやっておりますので、知る範囲でお答えします。 威力と射程は矢により変化(一般的に矢重に比例する威力と、矢重に反比例する射程はトレードオフの関係)するので、弓自体の性能についてお話しします。 しかし引き絞った時に強いからといって弓にパワーがあるというわけではありません。 正確には、「引き絞っていく途中の加重の積分値」が弓のエネルギーになります。 (平たく言えば、弓の引き尺に対しての加重をプロットしたグラフの、その曲線の下の部分の面積) 木製・合板の弓や単純な湾曲の弓ではこの引き尺と加重がほぼ比例します。 (和弓もだいたい比例します) しかし、強靭な材料を使い、湾曲を複雑にすれば、この曲線を上に膨らますことができるので、前者の弓と引き絞ったときに同じ加重でも(つまり、同じ筋力の射手でも)、より威力のある矢を飛ばせます。 この後者の条件に当てはまるのが、騎馬民族系の大きく湾曲した弓で、トルコ弓などとも呼ばれます。 (ちなみにコンパウンドボウという現代の弓は非常に高効率、正確なことで知られていますが、この弓をヒントに作られました。 ) そのため形状で言えば単純湾曲弓より、上記のような特徴を持つ湾曲弓のほうが高性能でしょう。 実際、トルコ弓の最大飛距離は実用の矢で400m、遠矢用で約600mだそうです。 材質は、木だけのものは、折れるのを防ぐため引き尺が取れず(ロングボウは折らずに引き尺をとるために長いのです)しなりが少ないため不利で、木竹をあわせた合板弓(和弓はこれ)や、さらにはより強靭な角・腱・革を使ったもののほうが高性能でしょう。 結論として、ご質問のものは時代はわかりませんが、騎馬遊牧民族系の弓だと思います。 和弓では、長い距離を飛ばす競技で最高400mという記録がありますが、これは専用の軽い矢を使った記録なので、征矢では最大でも200m位だと思います。 因みに和弓は、番える位置が中心より下寄りになっているため矢は先端をやや上げて飛行し、遠くに飛びやすくなっています。 有効射程となると一口で言うのは難しいですが、 ~2,30m だいたい急所を狙える ~40m だいたい人を狙える ~7,80m だいたい騎馬を狙える くらいだと思います。 tamagawa. html かつて明珍の鉄兜を串刺しに射抜いた人もいます。 書籍ですが、確か歴史群像シリーズの『北条時宗』で蒙古弓と和弓の比較をしていたと思います。 coatl-head. html の『武器の歴史(Weapons)』(マール社)が詳しそうです。 203. if-n. 当方弓道をやっておりますので、知る範囲でお答えします。 威力と射程は矢により変化(一般的に矢重に比例する威力と、矢重に反比例する射程はトレードオフの関係)するので、弓自体の性能についてお話しします。 しかし引き絞った時に強いからといって弓にパワーがあるというわけではありません。 正確には、「引き絞っていく途中の加重の積分値」が弓のエネルギーになります。 (平たく言えば、弓... A ベストアンサー アメリカで使える伝統空手と護身術を教えている者です。 私のプロフィールを見ていただければお分かりだと思います Tonfaと英語では書きますが、トンファを使って「踊る」ことは練習をすれば誰でも出来るようになります。 ヌンチャクと同じように「格好いい」といわれるもののひとつでしょうね。 私の所属している流派では古武術のひとつとして「踊る」だけではなく使いこなせなくてはなりません。 突く・叩く・防ぐだけではなく関節技、Take-down、体固め、に使うものとされています。 私の教えているポリスアカデミーでは逮捕術の一環として「義務教育」のひとつにもなっています。 こちらではこのトンファを改良したと考えられるPR-24の名前で知られています。 しかし、いろいろな問題があります。 使いこなすためのトレーニングの時間があまりにも少ないのです。 使いこなせない、と言うことは「事故」にも繋がることであるし警官の護身にも支障が起こります。 一番自由の利くとされる手 手首から指まで)がトンファを持つことによって使えなくなるのですね。 殴って 運が良く もその後のPR-24の管理 weapon retainingと言いますが がおろそかになり逆に使われてしまうと言うことことにもなりかねません。 また、PR-24に頼ると言う心理的問題、また、トンファの先をつかまれたときの「てこ」の応用によってトンファを保持することが出来なくなるような物理的不利点もあります。 長い部分を腕に保持して「防御」すると言う使い方があるわけですが、フックのような攻撃に対し生体的に脇・顔面があいてしまう為反撃を促す形になってしまうのですね。 また、手で握る部分を緩めてトンファ・PR-24を回転させるため、回転中の保持が難しくなります。 ま、いろいろ問題点のある「武器」ですが、ヌンチャク 州によっては販売・使用禁止となっています と同じように実践に使うとなるとまず使い物になりません。 ストレートのバトンに戻す警察署が多いのはこれらが理由となっています。 また、トンファが必要となる状況自体がまずないということもひとつですし、携帯にも不便です。 銃などへの護身にはかえって邪魔になります。 ナイフに対しても自由が利く警棒の方がより「使い出」があるのです。 トンファを古武術の武器としてちょっとかじった「自称武道家」の口車に乗ったという感が大いにあることはこの業界ではかなり広まっています。 しかし、警察に予算と時間さえあれば使いこなす訓練をすることでPR-24の持つ利点を大いに発揮させることは可能と私は思います。 ただその予算と時間、また、指導員の不足により、現状では実現するには程遠いと思うほかにありません。 これらすべて実際に何でもありの状況でかかってくる相手に対しトンファを使う訓練および経験がなければ「かっこよさ」や「表面的知識」に基づいた感想を持つだけになると思います。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 アメリカで使える伝統空手と護身術を教えている者です。 私のプロフィールを見ていただければお分かりだと思います Tonfaと英語では書きますが、トンファを使って「踊る」ことは練習をすれば誰でも出来るようになります。 ヌンチャクと同じように「格好いい」といわれるもののひとつでしょうね。 私の所属している流派では古武術のひとつとして「踊る」だけではなく使いこなせなくてはなりません。 突く・叩く・防ぐだけではなく関節技、Take-down、体固め、に使うものとされています。 私の教えてい... A ベストアンサー 「以」がつけば、以上でも以降でもその時も含みます。 しかし!間違えている人もいるので、きちんと確認したほうがいいです。 これって小学校の時に習い以後の教育で多々使われているんすが、小学校以後の勉強をちゃんとしていない人がそのまま勘違いしている場合があります。 あ、今の「以後」も当然小学校の時のことも含まれています。 私もにた様な経験があります。 美容師さんに「木曜以降でしたらいつでも」といわれたので、じゃあ木曜に。 といったら「だから、木曜以降って! 聞いてました? 木曜は駄目なんですよぉ 怒。 と言われたことがあります。 しつこく言いますが、念のため、確認したほうがいいですよ。 「以上以下」と「以外」の説明について他の方が質問していたので、ご覧ください。 goo. php3? しかし、日本刀は片手剣ほどの重さで長さです。 同じ長さであればリーチを考えると片手半身の方が有利です。 なので、外国の剣術は盾が無くても片手であつかいます。 佐々木小次郎の物干し竿は1mほどで驚異的な長さであったようで当時の一般人には扱える物では無かったと言われているようですが。 youtube. (最後に使われた剣の重さと長さが出ている) 彼らは達人でもなく、剣術歴10年ほどの生徒だとおもわれますが、かなり素速く剣を扱っており(1:55 ぶつかって火花が散るほど)剣の重さに振り回されてはおりません。 (普通の体力でもこの程度の刀剣は扱えるという例) 侍が非力だとは思いません。 私なりに思うに軽い刀を両手で持つことでよりスピーディに扱える、 斬りつけたときは片手よりも強力という2つのメリットがあると思いますが、それとリーチは引き合うかという疑問があります。 例えば「刀は突くもの」という言葉がある程度事実を含んでいるとするならば、剣が同じ長さで同じタイミングで突きを出したら、体の幅分だけ距離が稼げる片手のほうが絶対に有利です 日本刀を両手で扱うメリットはどのようなところでしょうか? なぜ日本の刀は両手であつかいますか? 日本刀は両手で持ちますが、刀剣を両手で持つ剣術はドイツ、イタリア、インド 少しばかり中国にあったくらいですが、これら外国の両手剣術の剣はすべて重くて長いです。 しかし、日本刀は片手剣ほどの重さで長さです。 同じ長さであればリーチを考えると片手半身の方が有利です。 なので、外国の剣術は盾が無くても片手であつかいます。 佐々木小次郎の物干し竿は1mほどで驚異的な長さであったようで当時の一般人には扱える物では無かったと言われているようですが。 A ベストアンサー 日本は山地が多く、騎馬武者が主力として弓擶を選んだことで、武士が最も勢力を伸ばした時代に、戦闘スタイルは「重装騎射兵」へと固定化して行った為に、 防具もそれに合わせて変化し、楯の代わりの大袖を具す様になったとらしいです。 だから、近世、武士の戦闘スタイルに変化が見られる頃、既に楯には実用性が失われ、刀を両手で持つことが固定化されました。 刀を両手で扱わなければ、刃筋を立てること、手の内を締めることが極端に難しく、それが出来なければ人を切ることは出来ません。 こんな文献がある。 「紀效新書」1595年 戚継光 「これは日本のサムライが明に攻めて来た時に初めてわかったことである。 彼らは舞うように跳び回り、前方への突進は光が閃くようで我ら明の兵は恐れおののくのみだった。 日本人はよく躍動し、一息で一丈(約3m)も飛び込んできて、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間隔があっても攻撃される。 我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎて、(サムライと)遭遇すれば皆両断されて殺される。 これは彼らの武器が鋭利であり、両手で振れる強力で重い刀を自在に用いているためである」 「大君の都」 Rutherford Alcock 1863年 「彼ら(サムライ)は、相当に熟達した刀の使い手である。 小さい方の刀を使うときは、二度突く必要は無い。 たったの一突きで相手に致命傷を与える。 大きいほうの刀を使うと、ただの一振りで相手の四肢を切り捨ててしまう」 つまり、リーチの差をモノともしない敏捷性を持っているのだから、両手で正確に四肢を斬り落とし、脇差しでとどめを刺すスタイルは理にかなっていると思う。 また質問中にもある佐々木小次郎。 彼の巌流には、介者剣法の気分を多く残していて、合戦に適しているという。 介者、つまり鎧武者と戦うことを前提としているため、鎧の隙間部分の喉・脇・手首・股などを狙うのである。 また、刀の損傷を考えて突きと引き斬りが多いのも特徴。 敵兵に身体を寄せ、首や手や股を斬り、戦闘能力を奪うことを目的にしている らしい。 つまり引き斬りは両手じゃないとしにくいし、体を寄せ、半身分のリーチ差など意味をなさないのが合戦だったようだ。 でも、半身になって突きを主体とする剣術が、江戸時代以降に発展していてもおかしくはない。 殺す必要がないのだから、刃筋を立てて一刀両断にする意味もないのだし。 しかし、そうはならなかった。 原因は小野次郎右衛門忠明のようにも思う。 伊藤一刀斎の高弟の一人で、小野派一刀流を継承。 1593年に将軍家の剣術指南役になる。 同じく兵法指南役となる柳生宗矩の柳生新陰流と並んで繁栄し、多くの支流分派を形成する。 つまりあなたが言う片手半身と正反対の両手正面の流派の使い手が将軍家の剣術指南役になり繁栄したわけだ。 いわゆる武士道や儒学の思想と相まって、片手で突きながらチマチマダメージを与えるスタイルは定着しなかったのかも。 以上、ネットを徘徊して得た知識でした。 結局は、日本刀の威力を最大限に発揮するため、両手で持つ必要があったし、 それが固定されたのは、さまざまな時代背景があったためだし、 世界的に見て特殊、っていわれても、それこそ日本国内においては意味のない話だし、 現代人から見れば、日本人が世界の感覚と違うのは、至極当然のことだしね。 参考になる部分だけ参考にして下さい。 日本は山地が多く、騎馬武者が主力として弓擶を選んだことで、武士が最も勢力を伸ばした時代に、戦闘スタイルは「重装騎射兵」へと固定化して行った為に、 防具もそれに合わせて変化し、楯の代わりの大袖を具す様になったとらしいです。 だから、近世、武士の戦闘スタイルに変化が見られる頃、既に楯には実用性が失われ、刀を両手で持つことが固定化されました。 刀を両手で扱わなければ、刃筋を立てること、手の内を締めることが極端に難しく、それが出来なければ人を切ることは出来ません。 こんな文献がある... A ベストアンサー もともとは武士が持っていた 太刀というのが非常に大きくて 合戦のときは鎧の上からこれでぶん殴って 馬上から叩き落す、あるいは組み付いて 引きずり落としてから 脇差(短刀)を抜いて、喉元や脇の下をグサっと刺して 相手を殺していたわけです。 だから実用の武器は実は短い方だったわけ。 ちなみに太刀は非常に丈が長かったので、腰刀にはできず、 短刀のほうも古いものは丈が通常の刀と思うぐらいに長いものでした。 平安から鎌倉を通じてこのような 戦いの作法があったわけですが、 室町・安土桃山の頃になると集団戦が 中心となったために、太刀が廃れ、 より扱いやすい打刀が主流となり 打刀(大きい方)が実用の武器となったわけです。 ちなみに腰に足緒 あしお で吊る太刀に対して、 帯にさして用いる長い刀を打刀(うちがたな)といいます。 豊臣秀吉の刀狩以降、新スタイルの刀剣、新刀が生産されるようになり 大小拵、同じ鞘塗装、絵巻で統一された打刀と脇差の二本を腰にさす 武士の作法がしだいに完成されます。 江戸時代には幕府の規定で大刀・ニ尺三寸、脇差一尺五~七寸と 定格化されて、時代劇でみるような感じになったわけです。 この頃になると実用性はほとんど失われたので 拵も形式的なものになり、刃も薄く軽くされるようになっていて、 幕末の頃は、古刀(新刀以前に製造された刀)を用いる 示現流の薩摩藩士などとの戦いでは、刀ごと折られて頭を割られたという 事例がでたほどでした。 ちなみにですが。 もともとは武士が持っていた 太刀というのが非常に大きくて 合戦のときは鎧の上からこれでぶん殴って 馬上から叩き落す、あるいは組み付いて 引きずり落としてから 脇差(短刀)を抜いて、喉元や脇の下をグサっと刺して 相手を殺していたわけです。 だから実用の武器は実は短い方だったわけ。 ちなみに太刀は非常に丈が長かったので、腰刀にはできず、 短刀のほうも古いものは丈が通常の刀と思うぐらいに長いものでした。 平安から鎌倉を通じてこのような 戦いの作法があったわけですが、 室町・...

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戦国時代の槍の使い方や長さについて解説!突く以外にも様々な用途が!?

槍 戦い方

斬り合い太刀打戦 武者同士の一騎打ち。 騎射戦(詳しくは )で勝負がつかないと、どちらかが刀を抜き太刀打ち戦を要求するか、 組打ち戦(詳しくは )を要求します。 この要求を受けることが、武士の流儀であった。 太刀打ち戦は騎射戦とは逆に相手を右側で受けなくてはならない、相手を左側に受けてしまうと戦いづらいからだ。 しかし主人の形勢が悪くなると、郎党が助けに入ってきます。 こうなると相手方も飛び出してきて、乱戦へと展開するのです。 こうなってしまうと 潔さは無視され一騎打ちの形は崩れます。 なので一騎打ちでは、乱戦になる前に相手を仕留める必要がありました。 乱戦になると主人は郎党を守り、郎党は主人を守る形で戦いが展開され、郎党の数が多いほうが有利になります。 また太刀で戦闘をする場合は騎馬より徒歩のほうが有利で戦い安すかったようです。 そのため騎馬武者は馬でスピードを出し相手方に近づき矢を放つ戦い方がスタンダードだった。 古い時代の弓はさほど距離が出る物ではない上に遠くから相手を射ることを卑怯とする風潮があったそうです。 高度な技術を要求される刀の扱い 室町時代では槍が普及していて、 戦場で刀を抜くというケースは、槍が壊れて使う武器がなくなった時や非常時。 又は相手の首を切る時に短刀を使う位でしか刀を使うことは無かった。 皆が槍を振り回している中で、刀では対応できなかったからだ。 しかし鎌倉から南北朝にかけては弓矢戦の後、乱戦へと発展して行き徒歩武者の太刀打ち戦となった。 この当時の刀は室町時代の武士が使っていた刀より長い長太刀が普及しいて、この長太刀で切り合いをしていた。 太刀打ちで相手を仕留めることを 「太刀打ちの戦功」と言われ、 名誉として重んじられ、その価値観は安土桃山時代まで続いていたそうです。 室町時代に槍が普及したのは、その長さの優位性もあるだろうが、扱い安さが良かったのでしょう。 兵隊の殆どは農民である為、剣術などの訓練をしていない者でも、刀に比べると容易に扱えたようです。 刀の扱いは弓矢同様大変な技術が要求されたようで、 下手では人を斬ることが出来なかったようです。 スポンサーリンク 関連記事• 陣中であっても、気は抜けない。 戦争状態になれば、人間のモラルなぞなくなってしまう。 気をつけなければならないのは、なにも戦闘中だけではない。 武士でない者には、戦争に参加した所で、相当な活躍が無い限りなにか恩賞があるわけでもない。 戦績の証明首級 戦後にて首実検(詳しくはこちら)のため、多くの兵が自分の戦績を誇り首を持ち帰るが、誰の首でもいいというわけではない。 名も無き雑兵の首では主将との謁見も許されない。 日本の武士に楯のイメージがない? 日本の合戦シーンなんかで、日本人が楯を持って戦うイメージって、皆さんあんまり持っていらっしゃらないのではないでしょうか?管理人の憶測で申し訳ないのですが、間違ってたらごめんなさい。 戦いの前の儀式 よく映画やテレビでみたことがあるかも知れませんが。 お互いの軍が着陣し向かい合うと、代表者が躍り出て降伏か和睦か等、大声で話し合う。 お互い無益な戦いだ判断すると、ここで軍を撤収することもある。 カテゴリー: 作成者:.

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槍 戦い方

Contents• 備考:「槍」は思いのほか、長かった 「槍」はこれまで使った どの武器よりも長く、敵や壁に近すぎると当たらないので慣れるまでは難しかったです。 他の武器より 一歩下がって敵との距離を開けると丁度いい感じでした。 槍の高速突き連打「五月雨突き」が強い! 突きを高速で 5連発する「 五月雨突き」は 序盤からラスボス戦まで効果的でした。 全武器で1周以上やってみて思うのは、各武器に 主力となる「強い武技」があるので、慣れればどの武器も強いと感じます。 鎖鎌はズバ抜けてますが笑 個人的には「槍」では 「五月雨突き」が 主力武技となりました。 突き5連発武技「五月雨突き」と相性抜群の 常時発動スキルになります。 槍にはあった!ブン回し系武技「風車」 前回使った「刀」には、 ブン回し系 斧「凶独楽」 や、 切り続け系 二刀「水形剣」や 鎌「藪切」など がなかったのですが、「槍」にはブン回し系の 「 風車」がありました 笑 「ブン回し系」や「切り続け系」の武技があると、大型ボスの背後などで 「 一気にHPを削る」ことができるので、あると重宝します。 ブン回し系武技「風車」 他の武器に比べて「槍」の奥義は弱め? 「槍」の奥義は ある種の条件発動なので「攻撃力底上げ」とは違うように感じました。 今回セットした 「 刺突専心」の「壁に弾かれない」は強敵戦で壁際って状況があまりないので、奥義にしては微妙かなと思います。 「攻撃範囲が広がる」の方がメインではないでしょうか。 もう一つの槍スキル奥義 「変転自在」は上段構え専用武技「槍体変」 残心成立時に敵を弾き飛ばす を中段、下段でも使えるってことだと思います。 個人的には「ほぼ上段」しか使わなかったので、今回「変転自在」は発動させませんでした。 「槍体変から各構えの攻撃に派生できる」は上手く使いこなせたら強そうです。 槍スキル奥義「変転自在」は上級者向きな感じですかね。 「槍」でのメイン防具と武器 今回も序盤から終盤までは 「忍び装束」を使い、最終盤のみ 「陰陽師の浄衣」を作成して使用しました。 武器は他の武器使用時と同じように、こだわりなく拾い物中心でした。 備考:「革紐」だけ不足 毎回 「革紐」は不足気味ですが、「陰陽師の浄衣」は「忍び装束」より作成時の「革紐」必要数が多いため 「革紐不足」が深刻でした 笑 「槍」でクリア時の最終ステ振りと状態 「槍」での今回は、 最終レベルは92でした。 「槍」に反映されるということで 「 体」に一番多く振り分けてみました。 「槍」で各ミッションクリア時のレベル 「槍でメインミッション全ボス攻略動画」の各ボス戦時のレベルは下図の通りです。 「槍」でメインミッション全ボス攻略動画.

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